雑記

街と山と幼いころの記憶と

友人の勤める会社の福利厚生でお手頃な価格になるよと、昨年末の仕事納めの帰り道に上大岡のシネコンでスター・ウォーズを観た。シリーズ八作目らしいが劇場でみるのも初めてで、テレビで通してみたのも第一作だけかもしれない。人気のある物語には絡み合う様々な因果関係があるのだろうなという程度の曖昧な予備知識でも鑑賞に支障はきたさなかった。子供から大人、男性女性を問わずに観る者を惹きつける魅力があるのだろう、隣の席に座った自分より年配の男性のバッグにぶら下がるキーホルダーにしては大きい握りこぶし大サイズの物体は半球状の頭部を持つR2D2のマスコットだった。


帰り道に立ち寄った焼き鳥屋はコの字状のカウンター席に沿って置かれた小ぶりのスタンドがほの暗い店内をしっとりと照らし出している。三ヶ月ほど前に鎌倉で尾根歩きをした後の反省会の焼き鳥屋も、今晩の店と同様日本酒が豊富にあったなと他愛なく振り返ったのがきっかけで、いいね鎌倉の尾根歩こうかと何とは無く話はまとまり、じゃあ早速明日ねとお開きになった。


翌日の待ち合わせは江ノ電と反対側ね、と聞いた記憶は間違っていたことが定刻すぎに分かり、鶴岡八幡宮側から線路下の通路をくぐりやあお早うと友人夫妻と合流したのはハイキングコースが記された立ち看板の前。どのコースを辿ろうかと思案した結果、佐助稲荷から大仏までを結ぶルートあたりが良いんではないかと、決めたのかそうでないのか判然としないままそちらに向かう。

 

紀伊国屋前の交差点を右折した後およそこの辺で左折かな、そういえばこの辺に食事できる古い洋館あったよね、ここのあんみつよく並んでいるね、ガラスの大きい真っ白な家だね、この家全然売れないね曰く付きらしいよへえそうなんだ確かに陰な気配だねえ、よく来るのこの器屋さん品揃え良いんだよああ知ってる知ってる新聞に連載してた、木を外壁に使う家がやたら多いなこのあたり、と話す間に佐助稲荷に辿り着く。

紅色の鳥居を重なりをくぐり抜けながら斜面を登って行く先には低い角度からの朝日を受けた石造りの狐が居座る前が結界になりこじんまりとした平地の境内に辿り着く。そこかしこに陶製の白狐の置物が様々な種類の縁を取り結びたく望む願いを一手に背負いながら群居している一角があった。一つ一つをためつすがめつ眺めるならばとりたてるほどでもない造形は集合で独自の発信力を備えた領域を成す。

 

直射を遮りつつ周囲を覆う木立の鬱蒼とした翳は、艶光りする白狐の集合体に幽かな灯りを吸収されて暗がりを際立たせている。ここが登山口になるらしい。勾配を増しながら続く樹の根の段鼻を踏みしめながら唐突に訪れたハイキングへの導入口は次元の異なりを身体に覚えさせようと働きかけている。

かつては山を登ることは日常の移動に欠かせないありふれた経路であったのだろう。効率化を求める車輪での移動は平坦さが必要だけど、単純さに飽き足らない現代人の足は再び管理された困難を娯楽として求めるようになった。縦走する尾根から眺めるいつもより数十メートル高い視点から眺める遠景は、自らが立つ地面と無限大に伸びて行く先の地平線との、高さと距離の割合を限りなく零に近づけてくれる。谷や丘の起伏を伴う伸長はやがて水平線に繋がり、やがて僕らの目の高さまで戻ってくる。

 

鎌倉の小高い山にすり鉢状に囲まれながら海へとつながる変化に富んだ眺望も、近接した日常生活との親密な距離感がなければこれほど魅力を感じることはないだろう。見上げる山と見下ろす里への視線の交錯は、不確かな世界にかろうじて残るよすがが幼い頃の手探りの渦中に刻まれた身体の記憶であることを想い出させてくれている。