雑記

お気に入りの「カバー」

腕時計をしていた時期がある、というからには今はしていない。時間を知るには携帯電話があれば事足りるし、アクセサリーとして身につけるほどの投影願望には不足している。比較的まとまった休みがあった転職合間の海外旅行の際、流石に無いのは不便と見繕ったTWELVEという名のついた腕時計の文字盤には針が差し示す方向に数字がない代わり、カバーガラスに12個の角があった。

パナソニックの汐留ショールームには美術館と呼ぶには大げさでかといってギャラリーにしては大振りなアートスペースが併設されている。建築資材や建材を取り扱うビルの性質から建築関係の企画展示が多いこのミュージアムで、「AMBIENT 深澤直人がデザインする生活の周囲展」が開催されている。工業デザイナーとしての氏の業績を俯瞰する今回の展示は、非常に控え目で繊細な彼の立ち位置を反映したものであった。

深澤という名を聞きなれない方も、無印良品から販売されている昔ながらの羽根が露出した換気扇を連想させる壁掛けCDプレーヤーや、水面に滴り落ちる瞬間の水滴を象ったかのような加湿器を目にしたことはあるかもしれない。強い作家性をブランディングの軸とするデザインとは真逆の思考から生み出されるアノニマスな造形の有り様は「SUPER NORMAL」という形容詞にふさわしく相反する価値観が同時実現されている。

 

展示会場は深澤氏がデザインした家具や家電・照明によるしつらえだ。部屋を間仕切る白い壁ですら彼の意図で配置されたものだが、その恣意性は漂白され表立った主張をしていない。いわゆるデザインは美の基準で対象を選別しがちだ。そこに潜む優生思想に敏感に抗っていたいと思う。抑圧や排除の力から免れて自由な生の振る舞いを担保することの困難さはいつの時代も同じかもしれない。深澤氏の仕事の集積からものづくりに携わる私たちへの密やかな励ましを読み取るのはやや穿ち過ぎだろうか。

展覧会場の出口では、深澤氏の故郷である山梨の和紙屋さんとのコラボレーションで製作された小物類が「SIWA−紙和」とネーミングされ販売されていた。厚手の和紙で製作されたカバンや財布やブックカバーなどは使い込んでいくうちに表面に現れるシワが風合いを生み出していく。箱ティッシュをカバーするグレーの包みを一つ購入した。一体全体どこがどのように良いのだろうか少し疑心暗鬼ではあった。もともと本屋で文庫本のカバーは断る性分だ。自宅に帰り早速試したが、流石である。空気の滞りがスムーズにほぐれていき気持ちの良い風が吹き込んでくる感覚が確かにあった。様々な分析は出来るだろうが言葉は控えつつ願わくはこの体感とともにあるデザインの可能性の端緒に触れ得る機会がふたたび訪れることを。