10月10日は体育の日で、昔はこの辺で運動会(体育祭)が行われることが多かったんですが、最近は春先に行うことが多いですね。
元々は東京オリンピックの開会式が開催されたことを祝って祝日となったそうで、じゃあ2020年はどうするんだろうと思ったら、来年だけ祝日を7月24日に移動するそうです。そんな別に移動しなくていいと思うんですよね。増やせばいいじゃない。あと札幌冬季五輪と長野冬季五輪の開会式も休みにしてください。
運動会が春先に移動した理由のひとつが「天候」とのことで、確かにこの時期は台風が来ることが多いです。タイミングの悪いことに週末には大きな台風が近づいているようで、何とか反れるか、早々に過ぎ去ってくれることを祈っています。
箸づくりで国際交流! フェンシングと大工コラボレーション
去る9月末、フェンシング女子フルーレ 四か国合同合宿 in 沼津が行われていたことを、親愛なる沼津市民の皆様はご存知だったでしょうか。
沼津はフェンシングのまちなのです。
フェンシングのまちNUMAZU
https://www.city.numazu.shizuoka.jp/fencing/
「スポーツを通じたまちづくり」を掲げる沼津市は、2019年2月、日本フェンシング協会と全国初の包括連携協定を締結したそうです。
詳細はこちら
(知らなかった)
(熱海市民だから仕方ない)
将来的には沼津市内でフェンシングの国際大会が開催され、トップカテゴリの選手を地元から排出できるよう、今後もフェンシングを通じた街づくりを推進していくとのこと。
今回、合宿の運営方面さんからお声がけいただき、文化交流の一環として箸づくりのワークショップを開催させていただきました。
一応事前には英語のパンフレット作ったり、英語のページをつくったりと作業していたのですが…… まあ問題は当日の接遇ですよね。

参加した大工さんに「English でコミュニケーションとれた?」と聞くと、「まあまあできました」との回答。さすが高学歴大工集団!

「中学英語と身振り手振りで大体いけました!」
高学歴大工集団さん!?

皆さんどうでしたか? と聞いたんですが、「まあ、鉋掛けたことのある人はいませんでしたね」という回答がありました。
そうね。日本人でも掛けたことのない人の方が圧倒的に多いと思うわ。
箸は結構使われる方も多いとのこと(中華も和食も使いますので)、箸箱に名前を捺印するために持参した平仮名スタンプで大層盛り上がったそうです。

隣室では着物の着付け体験。とても華やか!!
ワークショップの開催を通じ、楽しい交流の機会をいただきありがとうございました!
netsugi workshop は universal な customer に Japanese traditional な
experience を provide しておりますので Please feel free to contact us.
We are “netsugi café”
We symbolized “Netsugi”,
one of the traditional joint structures of Japanese wooden architecture
that firmly connects old wood with new.
Detail
隣県について知ろう4
前回のあらすじ:上社本宮に犬を連れて行くと凄い怒られる。

下諏訪駅の前には御柱が飾ってあります。上社は駅から徒歩40分という距離だったのでタクシーを使いましたが、下社春宮は20分ほどなので徒歩で向かいます。
古代諏訪のまとめ
もともと縄文人の大規模な集落があった
守矢氏がまとめ役となりミシャグジ信仰が広まる
諏訪明神を祀る出雲系一族がやってくる
NEW! 畿内から大和朝廷と縁続きの金刺氏がやってくる
上社が肉食え肉文化だったのに対し、下社は米食え米文化です。
しかし諏訪は天気いいなぁ!!!! 暑いよ(怒)!!

気のせいかなあ。春宮の方向になんか柱ではないものが見えるような気もするが……

こちらは「下馬橋」。高貴な身分の方も下馬しなければならない橋。かつては川があったんでしょうか。川は此岸と彼岸、神域と人里を分ける境界でもあります。

春宮到着。うん、気のせいじゃなかった。何だろう。台風で木が倒れたとか?

下社は春宮・秋宮の二社ですが、この二つは同格であり、神楽殿および幣拝殿は同じ形状をしているそうです。



上社が守矢氏の聖地であったように、下社は金刺氏の聖地であり、春宮は斎場でもある砥川のほとりに建てられています。 この砥川ですが

物凄く神々しい。とても惹かれたんですが、時間がないので訪問を断念しました。
水辺を祀るのは農耕と縁が深い文化ですね。諏訪氏よりも遅れてやってきた金刺氏は皇族の血を引く有力氏族「多氏」の後裔であり、大和朝廷に強いコネクションをもっていました。建御名方はある時期、25年という短い期間に爆速で神階が上がるんですが、これは金刺氏の力だったと言われています。
こういう捩じ込みは今なら「忖度! 忖度!!」で大炎上案件ですが、古代はSNSがなくて良かったですね。
砥川の清流に後ろ髪を引かれながら最後の一社、秋宮へ。春宮と秋宮も徒歩20分なので歩きでいいやと思ったんですが、これ後で冷静に考えたところ、移動は20分でも参拝中も動き回っているので、単純に20分+10分+20分+10分+15分=75分間ずっと歩いてました。20分じゃなくて75分だぞ。ばか。

坂を上ると一気に視界が開け、諏訪湖と下諏訪の街が広がります。
美しい……そらもう神社も建てはるわ。

こちら途中にある商家「伏見屋邸跡」。無料で内部を拝見できるそうですが、時間がなくそのまま通過。この辺よくお水が湧き出ていて(公共水道?)おじさんが洗い物したりしていました。

日本人ってお土産買うの好きだよね。お土産のために旅行してると言っても過言ではないよね。参拝前に塩羊羹買う。そして秋宮に到着。

4社中、下社秋宮が一番混雑していました。農耕神という属性を考えると、種まきの春宮、収穫の秋宮ということになるでしょうか。9月に神様がいるのはこちら。

(社格は一緒ということですが、明らかに秋宮のが大きいんですが……)

御朱印の順番を待ちながらぷらぷらしていると、駐車場から諏訪湖が見えました。

秋宮の近くには金刺氏の王と推定される古墳があります。
圧倒的な政治力を保持していた金刺氏ですが、不思議と上社を乗っ取ることはせず、自ら下社として一歩引いた地位に留まり続けました。
その理由は定かではありませんが …… 諏訪湖越しに上社が見える土地に古墳を設けたことからも、強い対抗心は見て取れます。
ただ、諏訪(神)氏は、祭りの際には鹿を75頭屠り、贄としてその首を切り落として神社に並べるという蛮族みたいなことをしているので、「対岸のやべー奴」扱いだった可能性もありますね。下手に刺激すると、来年の祭りは鹿ではなく金刺一族の首が75級飾られかねないという恐怖はあったかもしれません。実際、後々喧嘩売って滅ぼされてますし。

絶景哉、絶景哉。参道まっすぐ!
4社巡りの記念品は巾着でした。
これで無事に4社巡ったんですが、最後にもう1社だけ行きたい場所があったので、中央本線で上諏訪へと戻ります。
つづく。