成建設創業者で代表取締役社長の秋元久雄。彼は何を思い起業したのか。
会社の成長とともに、その人生を追ってみた。

 

1948年 静岡県伊豆市修善寺の、代々大工の家に生まれる

「親父は請負大工として弟子を多数かかえていました。夜はいつも仕事の話で盛り上がっていました。『久雄。俺たちはな、仕事が楽しくてしょうがないんだ。家を建てた後は達成感があるし、お客さんには喜んでもらえるし。こんないい商売はないぞ』と」

棟梁だった父

 

1964年 静岡県立韮山高等学校入学

         実家の工務店が倒産

 

1967年 高校卒業後、大学進学を諦め自衛隊体育学校に入学
      重量挙げでオリンピック出場を目指す

「中学時代のぼくは勉強のできるもやしっ子のようなタイプで、ウェイトリフティングを始めたのは劣等感からです。自衛隊体育学校にはトップクラスの選手がゴロゴロいて、その環境の中、必死でトレーニングをしました。オリンピックの夢は破れたけど、不得意なことでも一生懸命努力すれば全日本クラスまでいけるんだという経験が、ぼくに自信をもたらしてくれました」

重量挙げでオリンピックを目指す

 

1973年~ デベロッパー・ハウスメーカーでトップ営業マンとして活躍

 

1974年 中学時代の同級生と結婚

 

住宅メーカー時代、トップ営業マンとして表彰

 

1980年 建設業界の構造に疑問を抱き始める

「マイホーム完成を心待ちにしたお施主さんを、現場に案内した時があったんですが、お施主さんの質問を無視した大工がいたんです。その時のお施主さんのがっかりとした顔が忘れられません。こんなことでいいのか、親父の言っていた大工の仕事の誇りは、どこに行ってしまったんだろうと思いました」

 

1987年 人生を決定づけた言葉に出会う
「金を残して死ぬものは下・仕事を残して死ぬものは中・人を残して死ぬものは上」

「゛人を残して死ぬものは上”という言葉に出会って、幕末、松下村塾を開き、高杉晋作など維新の英傑を多数輩出した吉田松陰の真似ごとくらいしなくちゃと感じ、大工や職人を育てる会社をつくった。ですから、この言葉はぼくの人生を決定づけた言葉です」

 

1989年 株式会社 平成建設 設立

「創業する前、職人を育てる会社を作るんだけど、と知り合いの社長何人かに相談しました。10人が10人、反対でした。僕はそれを聞いて、心のうちで快哉を叫びました。あっ、この人たちは真似しないな。だったら、一人勝ちだ!」

平成建設 設立

 

1990年 仲間が徐々に集まる

「『うちの会社に入らないか』と勧誘して回りました。創業1年後には、意見に賛同してくれた10人の仲間が集まりました。今にして思えば、海のものとも山のものとも知れない会社によくぞ入ってくれたと思います。ぼくにとっての恩人ですね」

 

2001年 厚木支店開設

 

2005年 相模原営業所開設

 

2006年 藤沢営業所開設

翌年藤沢支店として移転・拡張

2006年 静岡営業所開設

3年後静岡支店として移転・拡張

静岡支店

 

2008年 テレビ東京系〈カンブリア宮殿〉出演 大工の社員数が100人を超す

「この頃には、学生の就職人気ランキングのゼネコン部門では、大手と並んで常に10以内に入るようになりました。『大卒のエリート大工集団』というキャッチフレーズで、マスコミがたびたび取り上げてくれることも大きいでしょう。でも、それだけではない。本当はみんな、物をつくることの喜び、楽しさを味わいたいのです」

 

2010年 技術顧問として、宮大工・田子空道氏を
      芸術顧問として、東京藝術大学教授・三田村有純氏を迎える

 

2011年 「内製化システム」グッドデザイン賞受賞
       日野支店開設

グッドデザイン賞 授賞式

 

2014年 世田谷支店開設

「創業から数年たち、大工や職人は育ってきました。でも現在の規模じゃぼくが考えている目標は達成できません。体制として1000人は必要です。若い人が日々成長していく姿を見るのは、何物にも代えがたい喜びです」