平成建設創業者であり、代表取締役社長。建設業界の風雲児とも呼ばれる秋元。
彼が平成建設を創業するまでを、自身の言葉と共に振り返る。
1948年〈誕生〉から 1989年〈平成建設設立〉まで

● 1948年 代々大工の家に誕生
「私の祖父・父は大工の棟梁でしたから、大工という職業がどんなにおもしろくてやりがいがあるか、どれくらい素晴らしい仕事を成し遂げるのか、子供のころから目の当たりにしてきました。父は弟子を多数かかえていて、夜はいつも仕事の話で盛り上がっていました。『久雄。俺たちはな、仕事が楽しくてしょうがないんだ。家を建てた後は達成感があるし、お客さんには喜んでもらえるし。こんないい商売はないぞ』と、目をきらきらと輝かせながら、私に語ってくれました」

 

● 1967年 重量挙げでオリンピックを目指す
「中学時代のぼくは勉強のできるもやしっ子のようなタイプで、ウェイトリフティングを始めたのは劣等感からです。自衛隊体育学校にはトップクラスの選手がゴロゴロいて、その環境の中、必死でトレーニングをしました。オリンピックの夢は破れたけど、不得意なことでも一生懸命努力すれば全日本クラスまでいけるんだという経験が、ぼくに自信をもたらしてくれました」

 

 

● 1973年 トップセールスマンとして活躍
「社会に出てからはデベロッパーとハウスメーカーで営業マンをしましたが、難易度が高いと同僚や他社の営業マンが敬遠していた富裕層にターゲットを絞りました。攻略するのは難しいが競合相手がいないし成約になれば販売単価が高く、一気に売り上げが上がるからです。みんながやることはやらない、みんながやらないことをやる。そんなへそ曲がりな性格が幸いしました。営業成績はいつもトップクラスでしたから」

 

● 1974年 中学時代の同級生と結婚

● 1980年 建設業界に、疑問を抱く
「マイホーム完成を心待ちにしたお施主さんを、現場に案内した時があったんですが、お施主さんの質問を無視した大工がいたんです。その時のお施主さんのがっかりとした顔が忘れられません。こんなことでいいのか、親父の言っていた大工の仕事の誇りは、どこに行ってしまったんだろうと思いました」

 

● 1987年 人生を変えた言葉と出会う
「医者であり政治家で、関東大震災の復興を担った後藤新平の残した言葉。この言葉に出会って、自分も人を育てなくてはと思いました。幕末、松下村塾を開き、高杉晋作など維新の英傑を多数輩出した吉田松陰の真似ごとくらいしなくちゃと感じ、大工や職人を育てる会社をつくったんです。ですから、この言葉はぼくの人生を決定づけた言葉です」

 

 

● 1989年 平成建設、創業
「創業する前、職人を育てる会社を作るんだけど、と知り合いの社長何人かに相談しました。10人が10人、反対でした。僕はそれを聞いて、心のうちで快哉を叫びました。あっ、この人たちは真似しないな。だったら、一人勝ちだ!」